2009年12月19日土曜日

出:昭和の傑作

 
赤いダイヤ(上)』(梶山季之、パンローリング)
赤いダイヤ(下)』(梶山季之、パンローリング)

1冊を1分ずつ、2分で読んだ。
ウソだ。そういう読み方はもったいないだろう。

さて、相場小説の傑作だ。もっとも、他の相場小説は読んだことがないのだが。
小豆相場、あの、身を滅ぼした人もたくさんいると聞く「赤いダイヤ」の相場が舞台だ。

相場というものをどう物語に描くか、ということを日々考えているのだが、なるほどこれはひとつのやり方だ。うまい。この人たちのやることをいつまでも見ていたい、という人物を作り得た。そこでほとんど勝ったも同然だ。読んでいて、ルパン3世か、と思ったものだ。

この作者については、恥ずかしながらよく知らないが、本書の解説を読む限り、作者自身が相場を張っていたという言及はないので、おそらく相場はやっていなかったのだろう。
それでここまで書けるというのは驚きだが、もし、やっていたらどうなっていたか、と思う。つまり、麻雀界における阿佐田哲也のような存在だったら。
傑作相場小説が次々と生まれ、相場の世界も、もっと文化として豊かだったかも知れない。ただ、「相場界の阿佐田哲也」が生まれるためには、相場の才と文才、両方を持ち合わせ、さらに本物の相場師たちが存在し得た時代に生きていなければならない。奇跡に近いことではある。

物語の基本線は買い大手と売り大手による仕手戦だが、そこにいろいろな金儲けが絡んで厚みがある。リスクを引き受ければ、金儲けの方法なんかなんぼでもある。情報がはやくなった今とは違い、あの昭和30年前後には、「何をやって食べるんだかわからない人」が無数にいただろう。
こういう感じ、あの時代の大衆小説でしか味わえないものかも知れない。

この作者、このジャンル、この時代の小説を掘り下げたくなった。
『色川武大・阿佐田哲也全集』を全巻持っている。出たときに順番に買ったのだが、大体未読だ。そのあたりの拾い読みからはじめてみるか。

あとひとつ、この小説には、「デフレ」とか「鳩山政権」とか、奇妙にこの2009年と合致する部分がある。日本の変化のなさにある種愕然とする。

読了指数
今回:+2
合計:-10