『科学の方法』(中谷宇吉郎、岩波新書)
本書は1958年に第1刷が発行されており、
手元にあるのは1997年の第53刷だ。
63年前に書かれた本を24年前に買い、今、読んだ。
『夏への扉』と同じような経緯で読んだわけだが、
内容的にも似たような読書体験だった。
科学がテーマなのだが、
本書の時代は今よりずっと「科学」という言葉が
輝いていて、
夢や希望を託されていた。
それがオレの認識だ。
そんな時代の空気に冷や水を浴びせるがごとく、
本書の第1章は「科学の限界」だ。
つまりはそういう本だ。
科学は、再現可能で、測定などによって数値化できる問題には強いが、
そうでない問題にはからっきしである。
ただし、統計学を駆使することによって
科学の適用範囲は広がる。
鉄球の落下というような安定した現象だけでなく、
人の寿命というような個別には予測不能な事象も
集団を全体として統計的に扱うことにより
科学の対象にできる。
なんにせよ、科学は自然のすべてを扱えるわけではない。
本書の時代に比べれば今はだいぶ科学が進歩して、
本書中で未解決とされていた問題も
だいぶ研究が進んでいるはずだ。
それでも、本書の「何が科学の対象たり得るか」という議論は、
未だ古びていない。
──と、言いたいところだが・・・。
本書によれば、梅と桜の枝ぶりは一目見ればわかるのに、
その違いを量的に表そうとすると難しい。
「現代の」科学ではとらえきれない。
美術骨董品の艦艇なんかも、
分かる人には分かるが
誰でもわかるように数値化したりするのは困難だ。
さて、しかし。
本書で言う「現代」は今から60年前のこと。
2020年代の我々は、AIの長足の進歩を知っている。
写真から植物の名前を教えてくれるアプリがあるくらいだから、
AIにとっては梅と桜を見分けるくらいは
そんなに難しいことではないと推察する。
美術品の鑑定はそれよりはだいぶ難しいと思うが、
ブランド品の真贋の鑑定ならかなりの精度で
できるようになっているらしい。
問題は、機械学習が科学か、ということだ。
確かに数量化はされているが、AIの中身はブラックボックスで、
人間にはパラメーターの意味が分からない。
本書の議論はそういうものをまったく想定していないので
何とも言えないが、
それを科学と言ってしまうのはちょっと違う気がする。
例えば天文学では、AIは画像データを鮮明化したりするのに
使われている。
それによって観測精度が上がりはしたが、
その観測結果から理論を導くのは
未だ人間であるから、
AIが科学者に取って代わったわけではない。
なんだかんだ言って、
科学の方法が根底から覆ったわけではない。
多分そういうことだろう。
今のところは。
読了指数
今回:+1
合計:ー114
2021年1月24日日曜日
出:科学たるかたらざるか
2020年8月24日月曜日
2020年8月1日土曜日
出:計画的
『十二人の手紙』(井上ひさし、中公文庫)
面白い、ということ以外、言うことができない。
どう言ってもネタバレになりそうだ。
この精密な、計画的な仕事ぶり。
膨大な下準備があったことは間違いない。
大量のメモ、下書き類が目に浮かぶ。
すべての物語作者は、
井上ひさしの仕事を真剣に学ぶべきだ。
今さらながら、惜しい人を亡くしたと思う。
もう新作が読めないということも残念だが、
ここ数年の政治状況を見ていて、
「井上ひさしが生きてたら黙ってなかっただろうな」
と思うことが多々ある。
ちょっとだけ本書の内容に触れれば、
なじみのある地名がいろいろ出てきてニヤリとする。
余計に心に刺さった。
読了指数
今回:+1
合計:-116
2020年6月29日月曜日
出:コールドスリープ
『夏への扉』(ロバート?A・ハイライン、福嶋正実・訳、ハヤカワ文庫)
本書に関する年譜を記す。
1957年 原書発行
1979年 本書(ハヤカワ文庫版翻訳書)初版発行
1997年 オレ、本書を買う
2020年 オレ、本書を読了
買ったのは1997年の夏。
なぜそこまではっきりわかるかというと、
まず奥付に「1997年7月31日 43刷」とある。
そして何よりも帯に「夏のブックパーティ'97」とある。
「江口寿史イラストの特製図書カードを600名様に!」だとか。
23年もの間本棚の奥深くで冷凍睡眠していたこの本を掘り出したというのは、
コロナ休校中であまりにヒマそうだった本好きの息子に
何か読ませる物はないかと探してのことだった。
これはちょうどいいのを見つけた、そう言えばオレもこれ読んでなかったな、と
そこら辺に置いて解凍していたら 休校が終わってしまった次第だ。
原書が書かれてから40年後に本書を買った時点では、
作中で未来として描かれている年代はまだ辛うじて未来だったが、
ようやく読んだ今となってはだいぶ過去のことになっている始末。
世の中のあまりの変わりように
本書自身が一番びっくりしているだろう。
もし子どもがいなかったら一生読まなかったかもと思うと
巡り合わせというものを感じる。
なんだか息子に読ませるタイミングを逃した感もあり
再びの冷凍睡眠に──
読了指数
今回:+1
合計:-117
2020年5月27日水曜日
入:企画勝ち
『数研講座シリーズ大学教養 線形代数』(加藤文元・著、数研出版)
『チャート式シリーズ 大学教養 線形代数:』(加藤文元・監修、数研出版編集部・編著、数研出版)
「高校の教科書のように書かれた大学数学の教科書」と
「高校生向けの参考書のように書かれた大学数学の参考書」
という企画。
しかも本当に高校生向けの教科書や参考書を出している出版社がやる。
有名な『チャート式』の数研が。
これほど勝利の約束された戦いはない。
末永く売れ続け、倉が建つ。
読了指数
今回:2
合計:-118
2020年4月18日土曜日
出::政治家必読
『群衆心理』
今ほど、群集心理がはっきり見えるときはない。
新型コロナウイルスの蔓延に伴って、様々な噂やデマが流れた。
トイレットペーパーがなくなる、という情報は完全にデマだったが、
信じた人が買いだめに走り、それを見た人がつられて買い、
という状況が報じられるとさらに人が店に殺到し、
本当に棚から消えた。あっという間に。
報道では「なくなることはないですから冷静に」と
呼びかけていたが、効き目は薄かった。
一人一人は知的で理性的なな人々も、
寄り集まってある条件により群集と化すと、
完全にバカになって同じ方向に走り出す。
理屈は通用しない。
相場本によく書いてあることだが、
120年も前にこの古典が指摘している。
本当に一箇所に集まる必要はない。
地理的に離れていても、群集にはなり得る。
今や世界中がひとつの群集だ。
群集は指導者を欲する。
このあたりから、本書は政治色jが濃い。
フランス革命の英雄にして大罪人、ロベスピエールやナポレオンが
俎上に載せられる。
読んでいると、現代のあの人やあの人のことを
言っているんじゃないかと思えてくる。
指導者には明晰な頭脳など必要ない、
そんなものは群集を導く上では邪魔になるだけだ。
「指導者は、特に狂気とすれすれのところにいる興奮した人や、半狂人の中から排出する。」
オレではない、著者のル・ボンが言っている。
しかし、あの人やこの人のことじゃ・・・・
民主主義って大丈夫なのか、と思わざるを得ない昨今だが、
この本を読むとますますその感が強くなる。
群集たる選挙人を籠絡するのに、候補者が備えるべきなのは「威厳」であって、
能力面は関係ないらしい。
その上で、選挙人には、途方もない、ウソとしか言いようのない約束をも躊躇なくする。
さらに、
「反対派の候補者については、これが、とんでもない破廉恥漢であって、幾多犯罪を犯した事実を知らぬ者はないということを、断言と反復と感染の手段によって、人々の頭に植付けて、相手を粉砕すべく努めなければならない。もちろん、その証拠らしいものを何ら探し求める必要はない。」
オレじゃない、ルボンルボン。
いやしかし、本当にこういう手法でもって、半狂人が
選挙に通っちゃってることがあるんじゃないのか?え?
100年以上前に書かれたにも関わらず、あんな人やこんな人の出現を
預言しているかのようで空恐ろしい。
ただ、ル・ボンは群集の負の側面だけを書いているわけではない。
群集の力は、ときにとてつもない偉業を成し遂げる。
革命もそのひとつだろうし、ウイルスに打ち勝つのも、
群集の力なくしては難しいだろう。
現代の基準からいったら決めつけが過ぎるんじゃないか
と思えるところもあるが、
心理学や社会学の礎を築いた本のひとつであり名著であることは間違いない。
自分が危険な群集の一員と化さないためにも、座右に。
読了指数
今回:+1
合計:-116
2020年1月5日日曜日
入・出:新しい常識
『セイバーメトリクス入門 脱常識で野球を科学する』(蛭川皓平・著、岡田有輔・監修、水曜社)
こういう本が大好きだ。
データによって、人々が見落としている事実を発見する。主観に基づくのではなく、あくまで客観的に。
昔からそう言われているから、というだけで正しいと鵜呑みにするのではなく、正しいとも正しくないともわからない、と、いっぺんニュートラルな位置に立って、データを調べ直してみる。
そうすれば、常識にとらわれていたときにはわからなかった新たな世界が開けるかも知れない。
送りバントはして欲しくない。これは、オレが野球を見ながらここ数年ずっと思ってきたことだ。
バントなどせずブンブン振って、得点のバラツキを上げ、それによって格上のチームに勝つ。そういうことが可能なんじゃないかと思っていたのだが、本書にはそれ以上のことが書いてあった。
プロ野球において、ほとんどのケースで送りバントは得点の期待値を下げる。得点をする確率も下げる。ピッチャーなど打力の著しく劣る選手が打席に立つときを除き、単純な送りバントは愚策と言っていい。
「ほら見ろ」と言いたい。
2017年の楽天イーグルスは、開幕からしばらくの間「1番・茂木、2番・ペゲーロ、3番・ウィーラー、4番・アマダー」という打線を組んでいた。2番打者に送りバントをさせる、という従来の常識を完全に捨て去っていた。素晴らしかった。勝ちまくった。
ところが、シーズン途中に茂木とペゲーロをケガで欠くと、バントを多用するようになった。チームは転落し、優勝を逃した。バントのせいとばかりは言えないが・・・少なくとも、3割前後打つ銀次にバントをさせるのはどんなケースでも大悪手だ。
そのほかにも、「盗塁は得点を増やすのにあまり有効ではない」とか、「打たせて取るピッチングは存在しない」とか、セイバーメトリクスが明らかにしてきた様々な事柄が議論されている。野球の見方が変わる。
シストレに応用できそうな考え方もいろいろあったし、刺激的。
読了指数
今回:±0
合計:-117
2019年7月3日水曜日
出:ゲームを作るというゲーム
『ボードゲーム デザイナー ガイドブック 〜ボードゲーム デザイナーを目指す人への実践的なアドバイス』(トム・ヴェルネック【著】、小野卓也【訳】、スモール出版)
子供とよくボードゲームをする。
これまでに遊んだのは、Dixit、カルカソンヌ、カタン、パンデミックなど。スタンダードなものばかりだ。さすがに売れてる傑作ゲームだけあって、子供達の食い付きもよい。
遊びがデジタルに傾きすぎた反動なのか、アナログゲームで遊ぶ人が増えているらしい。
確かにこれは面白い世界だ。
よくできたゲームが毎年たくさん出てくる。人間がボードゲームで遊び始めてから何千年もたつのに、いまだに驚くようなアディアが出てくるのに驚く。
そんなボードゲーム業界の内情が知りたくて、そして、自分でも作れるかも、とちょっと思って、この本を手にした。
自分で作るという目論見は、すぐに打ち砕かれた。
この本の目玉は、テストプレーヤーへの質問リストと、デザイナーの自己評価リストだ。
とにかくテストプレーをして、改善していくことが強調されている。
ちょっとでもルールを変えたらテストプレー、プレーヤーの感想を参考にまた改善、ということを何度も何度も繰り返す。
ゴリゴリのゲーマーだけでなく、初心者などいろんな人を入れて試す。
プレー可能なすべての人数(2~4人なら2人、3人、4人)で試す。
こうして、面白さを追求すると同時に、デザイナーが思いもしなかった破天荒なプレーによってゲームが破綻しないかをチェックする。
気が遠くなる。
この作業自体が、終わりのないゲームのようだ。
ルールはできるだけ簡単で、その場ですぐ始められるものにする。しかも、起こりうる状況をすべて網羅している必要がある。それでいて結果が運に左右されすぎず、戦略性を持たせなければならない。
同時には達成困難ないくつもの項目に折り合いをつけていく。
そうした長い長い過程を経てもなお、最初のアイディアが輝きを失わなかったときに、傑作が生まれるんじゃないかと思う。
作る過程を趣味として楽しむならともかく、売れるゲームを作ろうなどという野望には、おいそれと手を染めるものではないな。
この本で、ひとつハッとさせられたところがある。
「チェスがもし今日発明されたとしたら、市場に出る見込みはほとんどないだろうと関係者はいう。」(p.68)
その理由は、ゲーム編集者がそのアイディアを販売員や消費者に伝えるのが難しいから。業界人同士でさえ伝えるのが難しいのなら、プレーヤー同士が教えあうのも当然難しいだろう。
それじゃあ売れない、広まらない。
チェスがダメなら、当然将棋もダメだろう。囲碁も多分ダメだろう。覚えることが世界一多い(個人の感想)麻雀なんか、もってのほかだろう。
うちの子供達にも、一応囲碁や将棋は教えたのだが、食い付きは悪かった。
いつまでたっても、何をしたらいいのかわからない、とにかくなんだかわからない、という感じなのだ。
うちの居間では親父がよくCSの麻雀番組を見ていて、それが子供達の目にも入っている。地上波の歌番組に小柳ルミ子が出てるのを見て「あ!!麻雀の人だ!!なんで歌ってんの?」というほどには見ているのだが、麻雀はまったく理解していない。見ているだけでわかるものではないようだ。オレも、あまりにめんどくさいので教えていない。
それに対して、最初に挙げたようなボードゲームは箱を開けたその日から面白い面白い言って夢中になるのだから、親としても買った甲斐があるというものだ。
遊び同士がユーザーの時間を奪い合う中で、長い歴史を誇る盤上・卓上遊技といえども伝統にあぐらをかいていたらヤバい。
プロ棋士のみなさんが熱心に普及活動を行うのも、そういう危機感があるからなんだと、この本を読んで思った次第である。
ただ、じゃあなんで、チェスや囲碁・将棋は長い年月を経ても生き残っているのか、とも思う。
100年後、今出回っている新しいボードゲームのほとんどはなくなっているだろうが、チェスや囲碁や将棋が消えるとは思えない。
なぜか?それは、現代のボードゲーム作家にこそ考えて欲しい問いである。
読了指数
今回:+1
合計:-117
2019年6月4日火曜日
2019年3月8日金曜日
入:アートであーる。
『アート・オブ・Rプログラミング』(Norman Matloff・著、大橋真也・監訳、木下哲也・訳)
けっこうデータをいじっている。Rも、触り始めてから年数だけはたっている。けれども、ちっとも上達しない。何をするにもネットで調べて、そのたびに「ああ、こんな書き方もあったのか」と必ず思う。Rはどこまで深いのか、オレはどこまで浅いのか、いつになっても知れない。
ここらで一念発起し、Rに堪能になっておきたい。それで手に取ったこの本であるが、やはり1ページごとに「ああ、こんな書き方もあるのか」の連続である。ただし、ネットで調べるよりも「なぜそうなるのか」というわけがわかるのがよい。読み通せば、もうRのプロと言ってもいいだろうな。
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