『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J・D・サリンジャー=著、村上春樹=訳、白水社)
『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(村上春樹、柴田元幸、文春新書)
この2冊はセットと考える。
『キャッチャー』を読んだあとで『サリンジャー戦記』を読むと
いろんな事情がよくわかる仕組みになっている。
『キャッチャー』については、『ライ麦畑でつかまえて』という有名なタイトルで
野﨑孝訳がすでに出ていて、それは確か大学1年の時に読んで
ひどくブッ刺さって、いまだにそのときのそれを引きずって生きている
ようなところがある。
間違いなく好きな小説の一つだ。
にもかかわらず、この村上春樹の新訳を買ってから22年間積ん読jしたのちに
読んでみれば、ほとんど1場面も覚えていないことに別の意味の衝撃を受けた。
好き言う割には1回しか読んでなかったし。
それはそれで新鮮な気持ちで読めてよかったのだが、
じゃあ、最初のあのガツンと来たアレをもう1回感じられたかというと
そういうわけではなく……。
原因は3つ考えられる。
1.訳が変わった
2.時代が変わった
3.オレが変わった
1と2は強い関連があって、そのへんの事情は『戦記』で
詳しく語られている。
村上訳は確かに語り口がちょっとソフトになったのかな、という気はする。
でも大きいのはやっぱり3か。
だって、主人公のホールデンって
オレの子どもより年下なんだから。
え、こわっ。
この小説がどうして筋を忘れられがちなのか、
といったことは『戦記』を読めばわかる。
そのほか、『戦記』にはこの小説の制作過程とか
作者サリンジャーの生い立ちとか経歴とか、
そういったものがぎっしりと載っている。
また、サリンジャーの意向により小説本のほうには載せられなかった、
訳者・村上による「幻の」解説も載っている。
要するに、サリンジャーが嫌がりそうなものが『戦記』には全部載っている。
それがインチキ臭いと思えば『戦記』のほうは読まないで
『キャッチャー』だけを読めばいいし、
裏事情をいろいろ知りたいのであれば『キャッチャー』のあとに
『戦記』を読むことを強くお勧めする。
ところで、『サリンジャー戦記』のほうに、しおりがはさまっていた。
1980円の翻訳ソフトを宣伝するもの。
当時の本屋が挟んでよこしたんだと思う。
タイトルに『翻訳夜話』とあるからなのか?
今となっては、おそらくそのソフトよりはるかに高精度な翻訳が
無料で行える。
ただ、村上春樹の翻訳を越えるような質のものは
機会には未来永劫できないだろう。
読了指数
今回:+2
合計:-100
2025年9月13日土曜日
出:サリンジャー年代記
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